裕介社長の手紙
わたしの履歴書
第1回目は私の自己紹介として、子どもの頃からの話を書いてみたいと思います。 さまざまな方がこのWebサイトをご覧になられているかと思いますが、できるだけ皆さんに私の想いが届くよう、手紙を書くつもりで書かせてもらいます。
サッカーや日本拳法に熱中した日々。
生まれは1973年です。小学生の頃、ちょうど『キャプテン翼』の連載が始まって、その影響で小中高とずっとサッカーにのめり込みました。典型的なスポーツ少年でしたね。クラスの中ではムードメーカー的な存在。自分で言うのは恥ずかしいですが、友だちや先生に割と好かれるような子どもでした。
大学生になると、日本拳法という格闘技にのめり込みます。何でも一生懸命な性格なんです(笑)。父も祖父も格闘技をしていたので、私もいつかやってみたいなと。当時は練習がきつく大変でしたが、何より体育会独特の縦社会を学びましたね。今となっては良い経験だったかなと思っています。
足立建設工業は今、私で4代目の社長になります。先代の菊次郎から、親から子へ代々受け継がれてきたバトンです。ですから物心ついたときから、「あなたは跡取りだね」と周りからよく言われてきました。子どもの頃の七夕の短冊に、普通は「野球選手になりたい」「歌手になりたい」などと書くと思いますが、私は「お父さんの後を継ぎたい」と書いていましたね。もう当然のようにそうするものだと思っていたんです。
全社一丸となって、仕事に夢中になった。
大学を卒業し、すぐ足立建設工業に入社しました。そしてまずは東京都など、官公庁への営業を担当させてもらうことに。社会人になって初めての仕事でしたが、すごく楽しかったことを覚えています。その理由は、私が持ってきたどんな仕事でも、社内の工事部の人たちが断らずに受けてくれたからです。時には少々割に合わない仕事や、他の会社だったら断るような難しい仕事もあったはずですが、ほとんどの案件に「やるよ」と言ってもらえました。営業としては、仕事を断るのは嫌じゃないですか。だから本当に頼もしい人たちだなと思いましたね。
それも嫌々仕事に取り組むという雰囲気ではまったくありません。みんながみんな仕事に夢中になっていました。営業部はちょっとでも多く仕事を取ろうと、工事部はちょっとでも多く利益が出るように頑張ろうと、みんな熱かったんです。「創意と工夫」を凝らして、どんな難題にもチャレンジするプロフェッショナル集団。足立建設工業は、その言葉通りの会社でした。そんな諸先輩方のおかげで、今の会社があると思っています。
社員と向き合う。建設業全体を盛り上げる。
社長になってから私が特に大切にしていることが二つあります。一つは社員とのコミュニケーション。現場で働く人たちは特に、会社で同じ時間を過ごすことが意外に少ないものです。ですから現場にパトロールに行ったときに会話を交わしたり、社内でゴルフやフットサルをするときには私もよく顔を出したり。なるべく近い存在でいたいと思っています。家族的で雰囲気のいい会社にしたいです。やはり会社は私一人では何もできないですから。「企業は人なり」と言うように、本当に人を大事にしないといけないと日々感じています。
もう一つ大切にしていることは、建設業の人手不足が進む中で、私にできることは何でもやろうということです。建設業界は私たちの会社だけではやっていけません。私たちだけが生き残ればいいとも思っていません。みんなで底上げして、みんなで社会から求められる業界にしたいと思います。そのため建設業関連の団体の理事など、私がお役に立てるものは率先してやっています。建設業が良くなるためにどうすればいいかという想いは人一倍強いのです。例えば子ども同士の会話で、「お父さん仕事何してるの?」と聞かれて「建設会社なんだ」と答えたとき、「すごいね!」と言ってもらえるくらいに。建設業全体のイメージを向上させて、もっと素敵な業界にしたいと思っています。